近頃はめっきり見なくなったけれど、各個人のブログでCVの評価をしていた時代があった。
理由はどうあれ、みんな自分なりの考えをだして書いたというよりは、世間体を気にして、それ必要か?と思える、曖昧な言葉でぼやかしていた。
ネットだけの関係とはいえ、自分が参加した作品を実直に評価すると、言葉を慎重に選んでも憚られる。
果たして、その批評は外部に発信する意味があるのか。
自分なりのペン回し哲学といえるものを身につけたり、他人に配慮した書き方をしたり、公正な目でまっすぐ向き合うことは、年端のいかないうちは非常に難しい。
だからこそあえて言うが、難しいのならこれらを無視すれば良い。
要は、確固たる地盤もなく、知っている言葉だけで、穿った見方をする。
有識者ぶった人は、これを一笑するかもしれない。
ただ、世の中で面白い批評として跋扈しているのは、紛れも無くこの特徴がある。
まずは例を見てほしい。
これは某スピナーが書いたjapen 9thの感想である。
みんなも是非参考にしてほしい。
編集はガチ厨2で受け付けない人もいると思いますが、僕はそこは余裕だったのでかなり好きでした。
いろんな人のブログを読みましたが、なんだかんだで好きみたいな人がほとんどだったと思います。
匿名で文句を言うだけで何も行動に移さないしたらばのゴミ共を除けば、結構な支持を得たんじゃないでしょうか。
ツイッターとかの反応を見ても成功と言えるでしょう。
素晴らしい、と言わざるを得ない。
"僕は余裕だから好き"常人には、受け付けるか受け付けないかの話なのに、なぜ急に好き嫌いの話にすり替わっているんだ、と思うことだろう。
この文では、前と後ろの文章が繋がっていないのだが、これが彼のテクニックである。
仮に口語を書き下したとすると、この文章のような構成になることも稀によくあるだろう。
つまり、文章でありながら口語で書き下すことにより、より明快なコミュニケーションを介しているのだ。
後の文章もそういう構成が多々あるので、覚えておいてほしい。
"いろんな人のブログを読みましたが、なんだかんだで好きみたいな人がほとんどだったと思います。"お前の知人としてバイアスをかけているから、そう感じるだけだろうと、邪推なツッコミをしてしまいそうになる。
これが穿った見方である。慧眼だ。
次の例からは、少し感想の話とそれてしまうが、同様に素晴らしいのでご紹介させていただく。
今回成功した理由は大きく二つだと僕は考えています。
まず、「徹底した人選」です。
締め切り後に、mindが「頼むから撮ってくれ。」と言ってきた時の合格者は5人とかだった気がします。
そして頼んだ人のFSに対しても制作側が徹底的に議論して、一人が一箇所でも気に入らなかったらしっかりと指摘し、修正させる。
良いものが集まらないからあるもので妥協するのではなく、良いものを全力でかき集めるという姿勢、素晴らしい。
ああ、素晴らしいと思わず叫びたくなる!ディ・モールト!
人選の話をしようと揺さぶりをかけたあと、なぜか身の上話をする、飛天御剣流の抜刀術のうような隙を生じぬ2段構え。
編集側がリテイクをかけただけの、ごく普通の話を、姿勢の話にまで広げる展開力。感服せざるを得ない。
制作側の公開後のラジオやブログによる「強引な意見の主張」です。
ブログを簡単にまとめると、批判は全てねじ伏せて、これがJapen9thじゃ!!!!というような感じです。
これって実際相当効果出てると僕は思いますね。
僕の勝手な憶測ですがだいたいjapenを最初に見たときってスピナーの2割くらいは、「神!!!!最高!!!!」といった感じで2割くらいは、「くそCVwこんなのジャペンじゃない」みたいな感じだと僕は思っています。
この人らはもうほっといてもそういう意見なのでどうでもいいですが残りの6割は、周りに流される人たちだと思っています。
初見で「まあよかったかな?」「あんま好きじゃないかも……。」というような意見の人たちです。
こういう人たちはツイッターやしたらばなどで自分が思っていない方の感想ばかりだと不安になり、意見ががらっと変わることもあります。
もはや根拠という言葉を使うことがナンセンスである、とこちらの思考を操る畳み掛け。
"これって実際相当効果出てると僕は思いますね"何の効果があるかは明かされないので、こちらがわざわざ推量するしかない。
あえて不明瞭にすることで、イタズラに文を追うのではなく、こちらの思考を養わせるテクニックも盛り込まれている。
私なりの答えとしては、JapEnの定義を一新して、製作委員会が新たにJapEnを掲示することによって、批判を受け付けない、だろうか。
Slofis大先生だから、もっと難解な意味がこめられているかもしれないが、凡庸な私ではこれが精一杯だ。
そして、彼の最大の特徴である、数字が数字として機能していない二の句。
数学者が長年かけて作り上げた、誰しもが持てる共通の定義に、巨石を投じている。
初めに絶賛が多かったと書いたのに、流動する感想を除くと、絶賛と批判が1:1になっている。
一見するとめちゃくちゃだが、実はこの文では割合の数字は無視しなければならない。
数字を使わなければ(単に3パターンとすれば)、理解が単純になる。
恥ずかしながら、筆者もこの意図されたトリックに騙された読者の一人である。
最後に作中最大のトリックを含んだ文章をご紹介させていただく。
逆に僕はこの二つの理由のどちらかが無かったら大コケしてたと思います。
メンバーがクソでゴリ押ししてもクソなだけだし、今回編集とか好き嫌い分かれますからね。
あと今回みたく製作側がペン回しうまい(それなりの実績があること)のも重要だと思います。
下手だと「でもあいつらペン回し下手じゃん!」で終わるので(笑)
"メンバーがクソでゴリ押ししてもクソなだけ"またも恥ずかしながら、初見では理解できなかった。
作者が織りなす、読者に対する挑戦状のレベルは、本当にアメージングだ!
一般的に、意味が分からない構文に出会ったときは、違う言語にしてみると、構成が理解しやすくなるので、英訳してみる。
まずはgoogle自動翻訳してみよう。
Just a fucking member even if the arm-twisting fucking.たとえゴリ押しがクソだとしても、、まったくメンバーはクソだ
これだと、ゴリ押しが悪いんじゃなくて、メンバーが悪いという意味だが、なんだか違う気がする。
even if構文は肯定文と否定文を接続詞でつなぎ、意味をなすのだが、原文は肯定文のみで構成されている。
ここで矛盾が出たのだろう。
まるで、現代の力を使わず、己の思考だけで解に辿りつけ!とでも言わんばかりだ。
しかし、この作業は無駄ではなかった。
英訳の最中、私はある事柄を思い出した。
それは、強調構文である。
It is A that Bのような形で、Aを強調する英文だ。
そして、彼の文章は文法にとらわれない。
ここから、脳みそをフル回転して、ある結論に至った。
ゴリ押しの意味は、強調構文を表す記号であって、言語ではない。"メンバーがクソでゴリ押ししてもクソなだけだし"メンバーがクソだとクソこの結論に辿り着くまで、1時間もかけてしまった。
流石は巨匠ふくたにまひと。まぁ今回の挑戦状は私が辛くも勝利させてもらったが。
いかかであっただろうが。
いきなり、こんな天才に比肩するのは難しいかもしれない。
しかし、追いつき追い越せの勢いで、良質な批評を書くモチベーションにしてほしい。
それこそが、発信する行為の"意味"である。
たぶん、なんの気もなく、原文を読むと、案外意味がわかってしまうと思います。
しかし、言語として成立していないので、当人の主張と、読者の理解が一致することが非常に難しい。
悪文とは、コミュニケーションにおいて不安定なんです。
これを反面教師にして、みなさんも正しい文章を書くことを心がけましょう。
これが僕の本懐です。
Faith in fucking Fukutani is fool
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